狂気の中で生まれるうつくしさ
玉置浩二のクレイジーさが好き。
熱心なファンではないし、安全地帯もソロも好きっていう曖昧さだが。
一昨年発売された他アーティストに提供した曲のセルフカバーアルバム素晴らしかった。
安全地帯がなければ、椿屋四重奏はなかったであろう。もしましたら、THE YELLOW MONKEYもなかったかもしれない。歌謡曲の国で、井上陽水のバックバンドで育った彼らの音がなかったら、今の音楽シーンはもう少しつまらなかったかもしれない。
近年は変人キャラのイメージがつきすぎている気がするけれど、天才に変人が多いなんて古今東西多いし、玉置さんの場合は病気もあるからな。そういうアップダウンの苦しさなんてきっと本人にしかわからないのだ。
人生はクレイジーで、それを泳ごうとしたら、浮き輪を求めるか、あるいは自分もクレイジーになるしかない。そんな狂気の中で紡がれる美しいものってのもあるんだろう。
クレイジーダイヤモンドと呼ばれた彼はどんな感じだったのだろう。後追いの神話でしかシド・バレットを知らない自分はふとそんなことを考えた。かろうじて、ジョン・フルシアンテはオンタイムで知れた。
創作ってのは、そういうものなのか。与えられた人は、与えられるだけでなく、苛まれ苦しむものなのだろうかね。