静かに壊れていく秒針たちが

詩メインで、あとは徒然に音楽のことなど

生還と再発の次の場所へ

約束のない再会は奇跡に似ている。

東京フォーラムのステージ上で彼らを観た時、そう思った。

解散して、その後五十嵐が隠遁して、何の便りもなかった頃、自分が生きているうちに彼が帰ってくることはあるのだろうかと思った。帰ってきて欲しいとずっと思っていたけれど、彼の不在は長く、そして静か過ぎた。

 

サリンジャーや、シド・バレット。その他の多くの表舞台から去ってしまった表現者たちと同じように、彼が戻ってこない可能性だって大きかった。彼の世界、歌詞で描かれるその世界観が彼そのものでないとしても、もう戻ってこないのではないかと言う気持ちは強かった。

 

昨年の5月の生還で、ステージ上であの3人が演奏をしている姿を観た時の涙は、あるいは自分の人生で最も意図しない形で流した涙だったのかもしれない。

だから、今回の彼らのステージを涙で迎えるつもりはなかった。

でも、五十嵐が「おかえりー」って観客の声に、くすぐったそうに「ただいま」って言ったのを聴いた時にはほろりと涙が流れた。

 

一曲目のshare the lightから、最後の曲まで、俺はあの会場で圧倒され、苦笑いして、夢中になって、意識とばして、そんな慌ただしい感情を揺さぶられるライブに浸っていたのだと思う。

 

あんな世界観を表現できるバンドは、そうはいない。っていうか、俺にとっては唯一無二だ。だから、ずっと彼らの不在であり、彼の不在を耐えていた。ねえ、そんな苦痛をみんな(彼らを愛していた、待っていた人たち)耐えているんだと思っても、やっぱりしんどかった。

 

 

生きていれば良いことがある。そんな無責任な言葉に俺は苛立つ。

でも、生きていなければ良い事も悪いことも経験することはできないし、奇跡を手にするにはそれを諦めずに続けていかなければならないのだろうなということが彼らの帰還を通して感じた。

 

っていうゴミみたいな感想はどうでもいい。

syrup16gという宿業的な病の再発に感謝を。

彼らの帰還という奇跡に祈りを。

おかえりなさい。